今年の雪訓は超個人的な理由で上高地にした。理由は3月7日が金曜日で2泊3日で何か出来ないだろうかと思ったからだ。思いの外3日間の参加者は6名も集まってくれた。2日間が2名。日帰りが8名。合計16名だ。本当に嬉しい限りだった。
7日
この日はふみさんの命日。滑落事故から3年のこの日も天気は良く穏やかな日和の中救助現場に向かう。今年は雪が多く先週は温かい日が続いたので、しっかりと締まった雪質だった。毎年違う現場の景色は、雪が深い今年が一番3年前に似ていた。
ロープを巻いた木は夏に靴を拾った場所である。周りの景色を思うと救助現場はもう少し上の様だ。
3日間過ごすテントは霞沢岳西尾根取付き付近に張った。登山道からは見えないし風は全く吹かない絶好の場所だ。近くには滑落停止をするには良い斜面もあるので、そこで各々雪訓らしい事をした。


8日
2日間のメンバーの到着を待って霞沢岳へ出発する。しかし体調不良との事でYちゃんはテントキーパー。WだぴーとKぼちゃんはゆっくりと滑落現場へ。残りの5人で出発を開始するも堅い雪はしっかりとアイゼンを刺さないと効きにくい。それとは別で私の足が全然上がらずひとり遅れをとってしまう。結局2,000mを越えた付近で登頂は諦めて景色がいい所まで行ったら引き返す事にした。TちゃんにSちゃんとMちゃんを託し先に行ってもらい、私とKずちゃんはゆっくりと歩く事にした。
滑落現場だが当時とは違うトラバースのトレースが付いていた。あの日これと同じトレースだったら…とつい考えてしまう。結果論だから何を言ったって仕方ない。その時はその時の理由があって直登に登ったのだから。雪質が固く滑りやすかったのでこの日のが斜面に対する恐怖心は大きかった。この日なら「さほど危険とは思わない斜面」とは思わない。3回ほどロープを出して安全に下山した。



9日
日帰りで滑落現場に行くのを希望した2名をエスコートした。Nちゃんはそれなりに雪山は歩いているので大丈夫そうだが、新人のYちゃんはまだアイゼン歩行の技術が少ない。しかし行きたいと思ってくれたことが嬉しいので安全に上り下り出来る様にサポートした。歩き方の基本と恐怖を感じた時には手助け。最終的にはロープ。その為のロープワークはテント場でやっておいた。下山までの時間は掛かってしまったが無事任務遂行出来た。
二度と同じ事故を起こさない様に出来る事は、其々のスキルアップと意識、仲間との信頼関係と助け合いだと思う。それがグループ登山としての最大の強みなのではないだろうか。
今回出来る事なら登頂したかった。故に何も出来なかった気もする。だけど沢山の仲間とふれあい心のどこかに何かを感じる。きっととても大事な3日間を過ごしたんだと思う。ありがとう。


追記
滑落現場より下部の斜面でフィックスを張って、念のためセルフビレイを取って反対斜面で待機していた時の事。その上にもフィックスを張った為、待機していた沢山の人が降りてきた。その中のひとりが私の目の前でアイゼンを引っかけて、逆さまになって転がりながらアイゼンが私の腿に当たった、その足を私は捕まえた。無事止まったので逆さまになったその人の手を取り上体を起こした。お礼を言って降りて行ったが、斜面を降りた所で「止まらなかったらやばかったよねぇ」と話していた様だ。
もしかすると私が居たから転んだのかもしれないが、あの人は事の重大さをどれだけ理解していたのか謎だ。一瞬のミスが命取りになる。