3月になって暖かくなり、仕事で外出時にバイクを見るとツーリングに行きたくてしょうがない。ネタ、行き先を探している時、友ヶ島という和歌山市のすぐ近く、ラピュタみたいだと言われる無人島がある事を知った。要予約だが無料のキャンプ場があり、春分の日の連休に向け、春休みが始まるので早めに予約を入れ、もう一泊は年末に計画外で泊った鬼宿に泊まるツーリングを計画した。
20日朝5時半起床。いつものツーリングならバイク用のバッグにテント、寝袋などを入れてバイクに積むのだが、今回は歩いてテン場まで行かないといけないので、60Lのザックにテン泊装備を入れておいた。積んだのは前夜で、固定にちょっと苦労させられたが、思ったより強固に固定できた。
6時半に自宅を出て、給油した後、豊田東ICから高速に乘る。新名神のトンネル事故の影響で、手前の四日市JCTから渋滞が始まっており、みえ川越ICで23号に降りる。しばらく23号BPを走り、そのまま名阪国道へ。針ICから南へ進み、和歌山へ。ここらで船の予定の時刻1130に間に合わない可能性が出てくる。スマホで友ヶ島汽船のHPを確認し、15時の臨時便が出ることが分かり一安心。逆に時間が余るのでスーパーに寄る。14時に港に着き、ズボンと靴をバイク用から歩き用に変更し、ザックを背負う。
乗り場に行って切符を購入。人が多いので臨時便が出るが、13時以降の船はキャンプの人しか乗れないと聞く。時間があったので「潮騒」で時間を潰す。先週の答志島のために買ったのだが間に合わなかったのだった。
乗船時間が来て小さい船がやってきた。私の他に二人、釣り人が来て乗船した。内海なので波は穏か。たくさんの釣り船を見つつ、20分ほどの乗船で友ヶ島の野奈浦に着く。我々が降りると、帰りの観光客が大勢乗り込んでいった。もう時間的に島内に人は少ない。


桟橋横にある受付の建物に行き、キャンプ場を予約済みである事を伝えて札を貰う。スマホで行き先を確認して歩き始める。人はもう少ないが、まだ若者が数人歩いていた。15時の船が最終便のはず…。
山道を越えないとキャンプ場に行けない、とHPなどに書いてあったが、観光地なので道はしっかり整備されており、急坂も短かかった。テン場への分岐で一旦ザックを下し、第四砲台跡へは軽いザックで向かう。友ヶ島は明治時代に大阪を守るために作られた砲台跡、弾薬庫跡などがたくさんある。




レンガをびっしり敷きつめた施設を見てまわる。中は暗いのでライトを装備し、まるで迷路のような通路を歩く。道路のない島の山のてっぺんに、よくもここまで立派なものを作ったもんだと感心した。しかも崩壊している箇所は少ない。しかも島にあるせいで、解体を免れたのだろう。
見学後、ザックのある所まで戻り、そこからすぐでキャンプ場の敷地に入った。水洗のトイレを過ぎ、固定されたテーブルと椅子が少々。流し場の跡と井戸もあったが飲用不可と書いてある。海岸のすぐ手前の芝生の上が、区画分けされたテン場だった。既に4張ほど設営済み。真ん中の区画に自分のテントを張る。
担いできた水で米を2回洗って水を入れ、ソーセージを焼いてつまみにしてビールを飲む。海岸には流木がたくさん落ちており、ここなら焚き火し放題じゃないか、と思ったのだが、それは翌日にとっておく事にした。読書にも飽きて、そろそろキムチ鍋を作ろうかとタッパーを開いたら、入れたと思っていな豚バラ肉が入ってない事に愕然とした。仕方ないので肉なし、インスタントラーメンを入れたキムチ鍋もとい、キムチ風味ラーメンを晩飯にした。
読書を終え、眠くなってきたのでシュラフに入る。その夜はなかなか寒く、スリーシーズンのシュラフ+軽羽毛服でちょうどいいくらいだった。風がうるさい夜だったが、翌朝までぐっすり眠ることができた。
21日5時起床。観光客がくる前に見学に行きたかったのと、鬼宿までの距離があるので早めに起きた。本来は朝食にインスタントラーメンを入れる予定だったが、昨晩食べてしまったので、残った米とぞうすいの元を入れて朝食にした。
テントを撤収し、6時半に歩き出した。7時に桟橋の近くに重いザックをデポし、20Lのザックで見学に出発。20分ほどで第三砲台跡地に到着。誰もいない施設を歩いて回った。こちらにも将校用の建物があって、床の間の雑作がまだ残っている事に驚いた。弾薬庫がいくつも並んでいて、ライトを着けて中を抜ける。




第三砲台跡のすぐ先にタカノス山の山頂がある。木々がじゃまで、そこまで展望はよくないが、海の向こうの淡路島が大きくて、ここから見ると島とは思えなかった。
ここから下りで灯台へ向かう。友ヶ島灯台は現役の灯台で、すぐ隣に石作りの立派な建物があり、私がそこに着いた時に、その中から目覚ましか何か分からないが電子音がしていたのが気になった。もう人は住んではいない筈だが…。
次に第二砲台跡地に着く。こちらは大阪を向いた海岸線沿いにあるせいか崩壊がひどく、とても中には入れそうにない状態だった。




海岸沿いに歩いて桟橋へ戻るが、途中に旅館の廃墟があった。砲台施設よりずっと崩壊が進んでいる。昔は海水浴客がきていたのだろう。有料脱衣所、有料シャワーがあった。それらを抜けるともう桟橋に着く。その手前の松では、リスが何匹も走り回っていた。
時計を見るとまだ0845。計画よりずいぶん早い。友ヶ島発の始発が0930とあったのでそれを待つかと思っていたら、9時前に船が来た。臨時便が出たようだ。急いで札を受付に返し、ザックを背負う。待っている人はみな大きなザックを背負っている。この時間に乘るのは泊った人ばかりなのだろう。大勢の観光客が降りたのち、我々が乗り込み加太港へ向かう。
港に着き、自分のバイクの元へ。服装をバイク用に変更し、ザックをキャリアに縛りつける。予定よりずっと早く戻れたので、高速で一気に串本へ行く予定を変更し、下道で移動する事にする。予定では和歌山市内の銭湯に行く予定だったが、時間が早すぎてやってない。道中の日高町みちしおの湯で入浴。しょっぱい風呂だった。
南紀田辺ICから無料区間の高速を使ってすさみ南ICへ。そこから串本へ。オークワで夕食の買い出し。そこから鬼宿はすぐ。スペースワンの打ち上げ場の近くで、夜間通行止めになる所なので明るい内に着きたかった。
狭い道を抜けて行き止まりまで来ると、やはり誰もいない。海岸にテントを張る。米を準備して、流木を集めて焚き火を開始。スーパーで買ったカツオのタタキを食べていると、漁師か分からないが見回りに来た。多少の会話。彼が去るともう誰も入れない時間になる。ケータイの電波も入らない。ホルモンを焚き火で焼いてつまみにする。いい時間になったので米を炊き、バラ肉の入ったキムチ鍋の夕食にした。この日は風もなく穏かな夜だった。
22日朝5時半起床。焚き火跡を石を使って埋め、テントを畳み7時半出発。無料区間も使いながら42号をずっと北上し、勢和多気から津までは高速を利用。そこからまた23号BPでひたすら北上。港区のかつ屋で昼食。いつもの23号から1号へ抜け、自宅には16時前に到着した。
